海が奇麗な南オーストラリアの海岸の塩田で、約2年以上かけて太陽と風の力と自然の力を借りて、結晶する塩を原料とします。
表面のゴミやミネラルなどを飽和塩水で洗い、乾燥させます。
その原料塩を、沖縄の塩職人さんが、手作業でゴミや色のついた塩などを取り除き、理想の粒子まで、粉砕・篩作業・乾燥を繰り返します。原料、製造工程で、一切熱を加えません。
大海の神秘の力が持つ本来のエネルギーが、人間にやさしく届くようにと願いを込めて造った、水に溶けやすく、体になじみやすい『生のお塩』です
※お塩の原料が国内産ではない理由
あいにく、日本国内では、多湿の為、海岸で自然にお塩は結晶しません。
従って、長い間製造工程で、海水を加熱したり、煮詰めたりして、塩造りを行いお塩を手に入れてきました。
きれいな海岸で天日と風で結晶するお塩が、原料として最適です。
※お米をとぐ前に軽くひとつまみ
お米は、最初にであったお水を吸収します。
だからお米を計量した後、ほんの少しのお塩を入れて、かき回しまします。そして、お水ですばやく軽く洗い、とぎます。
炊く前にひとつまみ入れるとご飯がおいしくなります。
本来、必要とされるお「塩」は、広大な海の情報が、
いっぱい、つまった「海の化身」です。
だから、「塩」の造り方が、大変重要です。
造る側の意図が間違っていると、大変な影響を及ぼすのです。
「塩」とは、どういうものが「塩」なのか?
「海の海水」(陸地で塩水が湧いているものは、
海水ではない)が、干上がって風や天日で乾燥し、
水分がなくなって残ったものが塩です。
すると、この工程には、塩田で濃縮した海水を、
仕上げに平釜で「煮つめる」という工程がありません。
今日本でつくられている「自然塩」と称する塩も同じで、仕上げに平釜で煮つめてつくっています。
海水を一度沸騰させたらどうなるか?
「生きている海水」が、「死んだ海水」になってしまうのです。味も一変しています。
大海のパワーも、同然なくなってしまうのです。
「天日海塩750」の結晶写真(画像2枚目)
四角錐の傾斜角は52度
科学的に一粒の塩として見たとき、この写真から明らかに塩の作り方で塩の姿が変わること、質が変わることが、一目瞭然だと思います。
良質のお塩の四角錐の傾斜角は、一粒一粒に少しずつ違う表情がありますが、平均して五二度前後と言われています。
「塩」は最も「水」になじみ易い性質があり、
「塩」は、水を媒体としてイオン物質や情報を伝達していると考えられます。
ここでも、「水」と「塩」の関係で注目すべきことがあります。
水の分子構造は二個の水素原子と一個の酸素原子でできています。酸素の両方に水素が接続しているわけです。
このときの接合の角度が、「良い水」と言われるものは、一〇四度~五度に開いているようです。
ここで先に塩の傾斜角の話をしましたが、その角度は、水の接合角度の約半分です。
「水」の場合も接合角度が広くなりますと、周囲のよけいな情報をとり込み易くなり、
水に含まれる情報が変化すると考えられます。
水の分子と分子の接合もー〇五度前後であれば今よく言われるクラスターの小さい不純物をよせっけない
「良い水」となるわけです。「水」と「塩」は互いに共鳴し合う質を持っているようです。